日本の電子書籍が普及してきたおかげで、
私はなんとか漫画家としてデビューすることができた。
ここまでたどり着くまでの道は長かった。
すっかりオバハンになったね(笑)
就職のために日本に来て一年後に
「漫画家になりたい」と思ってた。
まず「漫画の描き方入門」みたいな参考本を買ったが、当時私の日本語が下手すぎて、読んでもイマイチわからなかった。
それでも何作を描いていろんな新人賞に投稿した。もちろん全部選外だった。
そのあと初めて白泉社に投稿した。
編集さんからの評価は相変わらず散々だった。評価シートの最後のところに「これ、冬ソナ?」って書かれてた。
そのとき、「あっ、女性誌は無理だ」と思ってたわけ。
自身の恋愛経験はそれほと豊富ではなかったし、恋愛ジャンルの映画、ドラマ、小説、漫画はほとんど観ない読まない。友達の恋愛話も興味ない。
そんな私が描いた恋愛漫画が「冬ソナ」って言われても仕方ない。
白泉社への投稿のきっかけで、女性誌を目指すのをやめた。
それからくさか里樹先生と出会ったきっかけで、長い間青年漫画を描いて投稿することになった。
講談社のモーニング、アフタヌーンやイブニング、小学館のスピリッツ、集英社や新書館など、とにかく白泉社以外はあっちこっち投稿してた。青年誌を目指すことで、ストーリー作りや絵のリアリティーの追求に関しては大変勉強になった。この時期を経験がなかったら今の私はいなかった。
そしてくさか先生のところでアシスタントしてたことも私にとって大変貴重な経験だ。
「漫画家はネームを描いて原稿料をもらうのよ」
これは一番最初に言われた言葉だった。
先生の元でネームを勉強して本当に良かったと思う。
そのおかげで、今ド新人の私がネームを提出するとき、ストーリー自体がボツになることがあっても、
コマ割りや演出に関して、担当さんは基本何も言わない。
アシスタントになって2年目のとき、先生に「あなたの実力ならもうデビューできるはず」って言われた。しかし新人賞に投稿して何度も賞を取ったが、デビューにはつながらなかった。
あっという間に4年も過ぎて、ある日先生に車で家まで送ってもらったとき、
先生がいきなり「あんた一体いつデビューする!?」って怒りっぽいな声で私に聞いてきた。
「私だって早くデビューしたいですよ!!!」って早口で言い返すしかなかった。
先生:「女性誌に投稿してみたら?」
私:「えぇ?ないない!」
先生:「向いてると思うけど」
それから集英社の女性誌に何度も投稿し、賞も何度も取ったが、デビューのところが、
担当さんさえ付いてもらえなかった。
そのあとコロナ禍のタイミングでフルタイムのアシスタントの仕事がパートになり、
「もう、転職しなきゃいけないかもね」と漫画家を目指す夢をあきらめかけたとき、
白泉社のマンガラボでLove Jossieの新人賞を見かけた。
「投稿しても絶対賞を取れないし、取ったとしても、Love Jossieのような漫画絶対描けない。
ていうか、私は白泉社に合わない!」と思ってた。
全然応募する気はなかった。
そのあと、別の出版社の新人賞に投稿したが、結局ダメだった。
その新人賞を賭けてたからダメだったとわかったとき、すごく悲しかった。
他の新人賞を探したら、またLove Jossieの新人賞を見かけた。
そのときはもう締め切りの直前だった。
一か八か暇で描いた4Pの漫画で応募したら小さな賞を取った。
でもデビューできた。しかもいきなり連載だ。
いやぁ~、遠回りしたなぁ~って感じ。
白泉社Love Jossie、ありがとう!
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